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魂の友

どんな出逢いであってもいつかは今生でのお別れをする日は必ずやって来ます。

8月25日は私の誕生日でもありましたが、今年は大切な人とのお別れの日でもありました。

 

25年前、私がまだ会社勤めの傍ら、京都の佛教大学にて学んでいる時に同窓生として出逢った精神科医の先生がいらっしゃいました。(この先生とのご縁については昨年のBlogに記載しております。ご縁が形に - yuki-lightworks ページ!

1996年、この先生から京都洛南病院の患者さん達が描かれた作品展である心象画展のご案内を頂き、初めて伺った事がありました。

精神的な疾患を抱えた方の作業療法の一つとして、心に浮かんだものを描いた作品達は、ギャラリーに入った途端に圧倒される位のエネルギーで満ち溢れていたものでした。そのギャラリーにいらしたのが、当時京都洛南病院で絵画講師をされていた山崎俊生先生でした。

20代前半であった私は、10代から始まった自分に対する問いの答えを探したくて色々と学びながら模索している最中でした。

その中の一つが描く事でした。言葉にならない想いを絵や言葉に表す事で、確かな自分を感じる事が出来るような気がして、家族が寝静まった夜中に一人自分の世界を拡げていました。でも、それはまだ誰かに見てもらおうと思う事もなく、ひたすら自分が自分であるために描いているものでした。

 

心象画展のギャラリーで、作品をゆっくり見ながら、あらゆる感情が湧き上がって来た事を今でも覚えています。ここにも私と同じ人達がいる。このまま自分の想いを表現していいのだと許された瞬間でした。

(その感情は、山田かまちの作品との出逢いでも感じたものと同じものでした。山田かまちについては長くなるので又いつか綴ってみたいと思います。彼の遺作展が初めて開かれた群馬県高崎市の画廊があるのですが、山田かまちを見出され、私費で美術館を作られた広瀬画廊のオーナーとお話しする中で、一度かまちと同じその場所で私も個展をさせて頂く事がありました。ご縁とはそのようなものなのかもしれません)

 

ギャラリーに居られた山崎先生と自然に会話が始まり、飾られた作品達から感じた事、私自身の事を話す内に互いに込み上げるものがあり、初対面であるにも関わらず魂の深い部分で繋がった感じがしました。

それ以来、私の作品一つ一つが出来上がる度にお便りしたり、展覧会に出展し入選し始めると必ず遠方でも足を運んで下さり、個展をすることになった時には本当に心から喜んで下さっていました。詩作についても様々なアドバイスを下さったり、いつも深い部分で寄り添って下さり、時に励まし見守って下さった方でした。GW前の大掃除をした際には、先生からの書簡が束になって出てきて読み返していた所でした。

以前のBlogに綴らせて頂いたドイツのアーティストであるアナマリアクリスティーナとも、山崎先生とはきっと深い部分で分かり合えると感じ、京都でアレンジしてお繋ぎした事がありました。そのご縁が拡がり、先生が教えられていた種智院大学や、ご縁のあった同志社等でもアナマリアの講演会が行われました。アナマリアが毎年のように京都に来られた際は、山崎先生ご夫妻もアナマリアとは定期的にずっと逢われていました。例えば私がアナマリアに逢う翌日に、彼女が山崎先生に逢われる予定の場合は、”山崎先生に宜しく!”とアナマリアに伝言を託したり、逆にアナマリアが先に山崎先生に逢われた場合は、”山崎先生がYUKIさんに宜しくって”と彼女を通じてもやり取りがありました。

私の結婚式には、アナマリアも来て踊ってくれましたが、山崎先生も来てお祝いして下さいました。

私が息子を出産する数日前には、予定日を過ぎてもなかなか生まれず母と大阪市内をひたすら散歩している途中に、京都に住んでいるはずの山崎先生に何故かバッタリ出逢い、出産の無事を祈って下さったという事もありました。

10年位前に病気を患われた事をお伺いしました。その頃、一度翻訳の件でお電話でお話しすることがあったのですが、電話を終える前に先生が言われた言葉が今でも心に残っています。”YUKIさんとアナマリアとの出逢いは、僕の人生の中でも本当に特別な出逢いでね。本当にこの出逢いに感謝しているんだよ。いつ言えるかわからないから今伝えさせてもらいたくてね”と。

最後にお目にかかったのは、2018年の4月、私がお手伝いさせて頂いた京都宇治でのコンサートイベントに来て下さいました。

その時には久しぶりに母にも逢って頂けましたし、先日Blogで紹介していたかめの家のAちゃんも来られていてようやく紹介出来ました。(山崎先生がされていたルガール社という出版社で自閉症についての本も出版されていたのもあり、Aちゃんに山崎先生をご紹介した事がありました。Aちゃんも山崎先生のその温かい人柄に触れた一人でした)

 

今年のGWに、コロナ禍でしたが、アナマリアが関西に来る事になり、我が家に5日間滞在した事がありました。京都も通過して来られたので、山崎先生に連絡をしたそうですが、体調も良くないような感じで逢えなかったようでした。アナマリアも私も主人も心配になり、せっかくだから、アナマリアと私の二人でお便りを書こうという事になり、二人で撮った写真を添えて山崎先生にお手紙をお送りした所でした。

 

8月19日の朝、奥様よりお電話を頂きました。それは闘病中であった山崎先生が8月16日の朝に旅立たれたという悲しいニュースでした。奥様のお手元には、GWに私とアナマリアが二人で送った手紙と写真があったようです。ずっとお返事を書かなきゃなと気にして下さっていたとのことでした。

ご家族だけでの葬儀は済まされ、8月25日に長年牧師を務められ、長老的存在として最期まで祈りを捧げられていた香里園教会にてご葬儀がありました。コロナ禍でしたが、参列しなければ、きっと一生後悔すると思い参列させて頂きました。

 

お盆前に注文をし、8月20日に印刷が上がってきたばかりの天使のグリーティングカード。

いつも新しくカードを作ったら親しい友人達、大切な人達にはお贈りしているのですが、今回のカードも山崎先生にもお贈りする予定でいました。残念ながら印刷をしてもらっている最中に天に召され、間に合いませんでしたが葬儀の当日奥様に想いを綴りお渡しさせて頂きました。

 

教会での葬儀の中で、牧師様や奥様のお話で、先生が様々な試練に合われた時に救われたという聖書の言葉の中に、”わたしは必ずあなたと共にいる”という言葉がありました。80年という生涯の中で、常に誰かの心に寄り添い、時に祈り共にいるという言葉をまさに体現されていた方であり、寄り添うというのも、表面的ではなく、その人の心の奥深くまで繋がる方だったと。とても出逢いを大切にされ、その重ねる時の中に生まれる信頼関係こそが生きる力となることを確信されていたということ。

 

新しいカードに印刷したばかりの絵のタイトルはAlways With You. 詩の最後は”わたしはいつもここにいて あなたと共にあります”。お別れの日は私の誕生日。最期に深いご縁を感じさせて下さったこと、この尊い出逢いへの感謝の気持ちでお別れをさせて頂きました。

 

私も出逢いからの25年間、その心の繋がりを常に感じていました。そこからどれ程勇気づけられ、安心して歩く事が出来たでしょう。人はきっとこんな風に互いに生きた証として想い出を魂に刻んでゆくのかもしれません。

出逢いがあれば別れがあるとわかっていたとしても、深いご縁のあった方との別れの深い悲しみは次から次へと心の奥底から湧いてきます。先生と交わしたお手紙や著書を再び手にとり、改めて懐かしい日々に戻っていました。

 

この数年間に心と向き合う中で、この命ある時にやってゆきたいことが少しずつ芽を出し始めました。

そうして再び絵を描き始めた事を、誰よりも喜んで見守って下さっていた存在がいて下さったこと。何が出来るのか、結果を求めるのではなく、道を求める続けること。その中で生まれる出逢いを大切にすること。

方位磁石が進む方向を示してくれるように、私の心の中でこれから進んでゆく方向を確かめる時間にもなりました。

 

この出逢いに一言伝えられるのだとしたら…

ありがとう ただそれだけです。