心の中でいつも聴こえる声があります。
それが自分にしか聴こえていないことは物心ついた時からわかっていて
誰しもそんな声と秘密の相談をしながら生きているのだと思っていました。
きっとそれを聴こえるとは表現しない人もいるのかもしれません。
中には気のせいだと、思い過ごしてしまう人もいるのかもしれませんが、時にそんな風にふと聴こえる心の声は
自分自身の持って生まれたベクトルに向かって導いてくれるものだと感じています。
この世界に生きていると日々の生活、人間関係の中でのシーソーゲーム、目にする耳にするあまりにも多い情報量のために
本当の自分を見失ってしまいそうになったり、ふと感じる違和感を自分の中で気づかないふりをしてしまうことすらあります。
そんなことを繰り返しながら辿り着いた場所で振り返る時、その道の中で確かな導きがあったことに気付くことがあります。
家族の寝静まった夜にペンを走らせながらふと想ったこと。
振り返ってから気付くのではなくて、気付いた上で選ぶことが大切なのだということ。
瞬間瞬間の最終的な決定権はこの自分自身以外の誰にもないのだということ。
子供がまだ3歳頃、生まれた瞬間のことを覚えている?と聴いたことがありました。
(実際2日間かかった出産でした。途中でお腹の中で出てくるのをやめかけてしまったように(赤ちゃんが疲れて眠ってしまったのでしょうか…)なかなか出てきてくれそうになかったのですが…。)
生まれてくる時すごく大変だったと話してくれました。
ドリルみたいにグルグル廻りながら出てこようとしていたのだけど、途中で諦めかけて止まっちゃった…
でも神様と約束したから頑張って進まなきゃって思い直して、頑張ったら出られたのだと。
(3歳で神様という言葉が出てきたことに驚きでしたが)
ちなみに、生まれた時にどんなこと思った?と聞くと、
なんで何にも見えないの!と思ったと。
出てくるまではずっと見えてたのに、出てきたら何にも見えなかったからだから何でって泣いていたと。
この話をしながら、大切なことを気付かされました。
そうだった、自分で決めて生まれて来たのだったということ。
生まれた瞬間に母の体を借りて既に人生最大の決定をしていたのか!ということ。
この目の前にいるたくさんの人達皆、同じなのだということ。
昨晩描いた後に、キーワードのように出てきた言葉たち。
綴りながらそんなことを想い出していました。
あなたは今どんな声が聴こえていますか?
ドウカ キキノガサナイデ。