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In to the light

先日は10月2度目の美しい満月でした。

あっという間に11月となりました。今年は今までの当たり前が崩されて新しい価値観を生き始めることを促された年だったと改めて思います。私自身の中でも、身近な世界でも様々な変化がありました。

 

先日、急に本の整理をしたいと思い立ち、この30年余りで溜まりに溜まった書籍をかなりの量手放しました。

段ボール箱で7箱… これまでも何度か同じように整理をしていましたが、ここまで大がかりにしたのは初めてかもしれません。

一冊一冊をどうするか見ながら、その本を読んでいた頃を色々思い出していました。

本棚は人生観そのものが出るものだと思っています。整理をしながら自分の歩いて来た道を振り返る作業ともなったような気がします。今までの整理の中でまだ手元に置いておきたい本だったものが、いつの間にかそうでなくなっていたものもありました。

 

これはどんな本だったかなと開き始めて、手が止まってしまったり…読んでいたその頃に胸が痛んだ言葉は今でも同じだったり…

そんな中で残した本達は(まだまだありますが…)より研ぎ澄まされた自分のエッセンスとなってゆくのかもしれないと思っています。

 

本を読む時、心に響いた言葉をノートに綴りながら読むことがあります。それはいつしか自分の中で血となり肉となり消化されて、やがて自分の言葉に生まれ変わってゆくような気がします。発酵するのを待つ感じでしょうか。

今回手放した本達は、私の中で消化作業が終わった本だったのかもしれません。

 

人は生きてゆく中で、日々たくさんの出逢いを重ねています。

でも、両手いっぱいに抱えすぎてしまうと、次に出逢ったものを抱える余裕が持てない時があります。

時には思い切って手放すことも大切なのだと感じます。でも、手放す時に一度向き合ってみて、一緒に行くか行かないか選択する必要はあるかもしれません。空っぽになった手でしかつかめない出逢いもあるのだと思います。

今あるものを手放すのも、新しいものをその手でつかむのも、すべてその時の自分自身の選択。

きっとその連続で人生は出来ているのかもしれません。

 

いつか光に帰る日が来る時に、その手の中には何もなかったとしても、きっと手放す選択をした時点で既に、その出逢いのくれた煌めきのようなものが自分と一体になっているものだと思っています。

 

どんな出逢いも別れからも、きっとギフトをもらっているのかもしれないと、最近そう思います。

きっとそれが知らないうちに勇気をくれたり、支えになってくれる存在になっているのだと。

 

 

朝という漢字は十月十日(とつきとおか)という文字から成り立っています。

十月十日というのは、人の胎児がお腹に宿ってからこの世に生まれ来るまでの期間と同じで、誕生の意味を持ち、毎日朝を迎える度に人は新しい命を授かり新しい人生を生きることが出来るのだと聞いたことがあります。

その話を聞いてから、朝が来るたびに、今日は新しい人生を生きる一日だと思って生きています。

ふと過去の自分に呼び戻されて逡巡することもあったりしますが、何かを整理することでこの逡巡も減ってゆくのかなと思ったりします。

 

これからまた年末にかけて少しずつ溜まりすぎてしまったものを手放したいと思っています。

 

空っぽになったスペースにはどんな出逢いがやって来てくれるんだろうと思いながら…