最近、長年使っていた鏡の額縁部分が壊れてしまい鏡の部分だけが無事残っていました。
無傷だったのと、鏡を捨てることに何となく抵抗があったので、ふと鏡に絵を描いてみたらどうだろうと思い立ちました。
物心ついた時から、神社にある鏡が気になっていました。日本では古来から三種の神器の中の一つに鏡はあり、剣や勾玉とともに祭具として重要な意味を持って扱われてきました。
神社にお祭りされている神様に具体的な姿形はなく、岩や木などにも神様が依りつくと考えられてきたそうです。鏡も神様が宿られる依代の一つとして祀られているそうで、神様の存在と威儀を示しているものなのだそうです。
”かがみ”という言葉の中で、間にある”が(我)”を取ったら”かみ(神)”になります。
これは、鏡を通して真の自分と向き合い、我をなくし、誠実で清らかな心でいることで神様と通じ合うということなのだそうです。
鏡に描くのなら…と浮かんだのは鹿でした。
取り掛かってからなかなか進まず少し描いて1か月程が経ってしまったのですが、今日一気に描き上げました。
描く事は我をなくす事と似ているのかもしれません。
没頭していると、ただ目の前に浮かんでくるイメージを描き出すことだけに集中しています。
時々、ふと我に返ると(我に帰るかな…この言葉自体、我から離れているということかと、ふと気づきました)1時間2時間が過ぎていたりします。
鹿の角の間にある丸い部分は鏡そのものを残しました。
時々描きながら映る自分の姿を見ながら、本当の自分について考えていました。
普段の生活の中では、日々のルーティーンに追われ自分と向き合う時間を忘れてしまいそうになることがあります。
そんな時でも、帰り道、夕焼けが綺麗だったり、大きな虹が見えたりした時ただただ嬉しいと思う気持ちは本当の自分の姿なのかもしれないと思います。
この数か月、家に居ることも多くなり、家族や自分だけの時間を過ごすことも増えてきました。
これは一生続く問いなのかもしれませんが、本当の自分って何だろう、本当の自分ってどこにあるんだろうと不思議に思うことがあります。
鏡に段々と浮かんでくる鹿を描きながら、毎日、この鏡に自分を映してみて、本当の自分って何だろうって考え続けることも良いかなと思っていました。本当の自分を見ようと思って過ごすことは大切なのかもしれません。
あなたの姿を鏡に映す時、本当のあなたが見えますか?
本当のあなたを見ていますか?
Can you see?
何か大切なものがどこかにあるはずだと 探していますか?
それははるか彼方にきっとあるはずだと 道なき道を探していますか?
あなたの探しているものは何ですか?
目に見えないものをつかむことほど 難しいことはないのかもしれません
鏡の前に立って あなたを見てください
そこに何が見えますか?
本当のあなたが見えますか?
本当のあなたを見ていますか?
きっとすべての答えはそこにあります
全ての始まりはあなたです
どこかを探すのをやめた時
あなたの中でふと気づくものがあるのなら
きっとそれがあなたの探している答えなのかもしれません